いつかの朝焼けを待ち望んで

声を上げ続けよう

LGBTを「不幸」と言う不幸な人たちへ

力のない個人として


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LGBTには生産性がない」という驚くべき発言が、今論争を巻き起こしています。

 おそらくこれを読んでいる皆さんは知っているでしょうが、先の発言は自民党杉田水脈議員が雑誌、『新潮45』2018年8月号で語ったことです。

 今、「杉田水脈」でTwitter検索をするとヒット数がものすごいことになっています。彼女に真っ向から反対する人、全面的に肯定する人、何が悪いのかわからないという人。そして彼女を支援する人達は、口を揃えて「全文を読め」と言います。

まあ確かに、「LGBTには生産性がない」 という言葉のインパクトが強すぎて、その部分のみが広まっている気はしますが、正直どんな切り取り方をしたとしても先の発言は明らかな暴言だし、国会議員として支持することは未来永劫できないと言いたくなります。

でも、読みました。読んだ上で違うと思ったらしっかり言おうと思って、しっかり読みました。結果、予想通り先の発言と並ぶほどのとんでもない暴言がたくさん出てきました。

 これを読んで「何が悪いのかわからない」「極めて正しい」「どうして騒ぐの?」と本気で思える人がこんなにいることに泣きたくなります。でもきっと、彼らには本当にわからないのです。悪意とかそういうものでなく、「知らない」し「理解できない」し「何がおかしいのかわからない」のです。

 だから私は書こうと思います。別に学者でもなければ政治に詳しい訳でもない、ただの大学生として書こうと思います。長くなるだろうけれど、ひとつひとつ考えの及ぶ範囲で言葉にして。

 

* ここからは記事の内容から、おかしいと思ったところを引用して反論する形をとろうと思います。読んで苦しい思いをしそうな人は読むのをやめてください。

 

 

 

その1

最近の報道の背後にうかがわれるのは、彼ら彼女らの権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方です。

 この文章の何が問題かわかりますか?

「生きづらさを解消してあげよう」「多様な生き方を認めてあげよう」ここです!

してあげようじゃないんだよ!!!

それらはそもそも認められてしかるべき、彼らの権利であって、認められていない状態の方がおかしいのです。「差別しないであげてる」と、マジョリティ側から言うことのグロテスクさ、無意識の差別をわかって欲しい。例えばあなたが海外に行って、現地の人に暴言を吐かれなかったら、「国籍差別しないでくれてありがとう!」って言いますか?

 

差別はそもそもマイナスな状態であって、差別されないことによってやっと、ゼロになるんです。彼らは特権を求めているのではない。「普通の」異性愛者と同じ権利が欲しいだけです。それを「してあげる」なんて言ってほしくない。

 

 

その2

LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。

ものすごく初歩的な疑問なのですが、ここで言う「自分たちの親」は、社会の一員じゃないのでしょうか?杉田議員は社会と家庭が完全に切り離された世界にでも住んでいるのでしょうか?

 親も社会も一員だとしたら、社会全体がLGBTの理解を深めることは、親の理解を深めることにも繋がるのではないですか。万が一親に受け入れられなくても、彼らは社会から弾かれることなく差別を恐れず生きていけるのではないですか。

 

 また、彼らの親がショックを受ける理由をあまりに単純に考えすぎだと思います。「自分たちと違うから」もあるでしょうが、私が聞いた話や読んだ本からは「自分の子供が差別されてしまう」と、性的指向を隠すように勧めたり、パートナーを作ることに反対する親もいるように感じました。

 

じゃあ、もしも誰が誰を愛しても、愛さなくても受け入れられる世の中になったら?

 

同性同士で付き合っていても結婚しても、同性カップルが子供を持っても、就職に問題もないし誰も誹謗中傷したりしない。体や心の性に誰も文句を言わない。人と人との愛やセックスや結婚に誰も口を出さない。誰を好きになってもならなくても、人を愛しても愛さなくてもみんな幸せになれる。そんな世界だったら?


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あなたがその世界のセクシャルマイノリティの親/子供だったらどう感じますか?

 

その3

T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。

(中略)一方、LGBは性的嗜好の話です。

これはそもそも知識不足を感じます。トランスジェンダー性同一性障害ということを知らない人も、まだ結構いるかもしれません。

 トランスジェンダーだからって、必ずしも手術したい、体を変えたい訳では無いことはぜひ知って欲しいです。

 

トランスジェンダーの定義について、詳しくはこちらを参照してください。https://kotobank.jp/word/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC-585567

 

また、「性的嗜好」の使い方にも違和感があります。こちらがわかりやすい「性的指向」と「性的嗜好」の説明です。

https://nekoashifumifumi.com/sexualorientation-sexaddiction/

少なくとも現代社会では、同性愛を「性的嗜好」にカテゴライズすることは考えにくいです。

こういった、無知ゆえの見方が彼女の文章には散見されます。無知は罪ではないですが、知らないから人を傷つけていいかと言われれば答えはNOです。出版社もこれを発行する前にここら辺を突っ込まないものなんでしょうか。

 

その4

最近はLGBTに加えて、Qとか、I(インターセクシャル=性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。


むしろなんで二つじゃなきゃダメなんですか?

また杉田議員はここを勘違いしてらっしゃるのではないかと思うのですが、これらのセクシャリティはつい最近出来たものではありません。名前がついたのは最近かも知れませんが、ずっと昔から存在してきて、しかしそれが表出しなかっただけなのです。

 

特にインターセクシャルに関しては、昔からその存在の記録があります。生まれつき女性器と男性器を両方持つ人もいます。身体的にそもそも男女に分けられないのです。

 

人はそれぞれ違います。見た目も、言葉も、性格も、完全に同じ人は1人もいません。国の形が変わっていくように、言葉が時を重ねて変化していくように、昔はありえなかったことが今は当然なように、その境目はとても分かりづらいです。すべての境界線は曖昧で、私達は色々なことがわかりやすいようにそれに名前をつけているだけなのです。

それなのに「性別」だけずっと変わらず男女二つに分けることができるという方が変ではないですか?



 

その5

普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。

  この文章を読まなければ、私はこの記事を書かなかったかもしれません。

読んだ時、こう思いました

「不幸な人?不幸な人??誰が?なぜ??」

 

なぜ人を愛することが不幸なのですか?

 

不幸であるとすれば、それは同性愛者であることよりも、それによる差別を受けることです。なぜ好きな人を愛している、それだけのことが不幸と呼ばれるのですか?

 

子供を産めないから?男女のカップルでも子供を産めない人はいるし、産まない人もいます。産む産まないは選択の自由ですし、少子化が問題であっても産むことを国家が強制することはできません。

 

結婚出来ないから?これこそ制度の問題ではないですか?同性婚を認める法律がある国は年々増え続け、ヨーロッパ諸国を中心とする24カ国にのぼります。渋谷区でのパートナーシップ条例も話題になり、世界中の流れとして同性婚は認められつつあります。

参考→ https://okuma-colors-life.com/same-sex-marriage-matome/

 

 マイノリティの不幸はマイノリティの存在自体によるものではありません。社会の、人々の、無理解と差別によるものです。

 

 セクシャルマイノリティと呼ばれる人たちもみんな「普通」に、お金持ちだったり貧乏だったり、恋愛したりしなかったり、セックスしたりしなかったり、子供を産んだり産まなかったり、結婚したりしなかったりします。

セクシャルマイノリティであっても、不幸から程遠い、幸せな人たちもたくさんいます。それは何もおかしいことではないし、彼らが掴んだ彼ら自身の幸せです。

 

 
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LGBTが差別されるこの世界は不幸かもしれないけれど、LGBTに生まれたことを不幸だなんて決めつけないで。

 

 

 あの発言を「差別じゃない」と言えるのは何故か?


杉田議員の発言について、本当に多くの人が言及しています。彼女に怒っている人はLGBT差別に対して怒っていたり、「生産性」がない人間でも生きる価値はあると訴えていたり、杉田議員のやり方は弱者を切り捨てると主張していたりします。

杉田議員の発言は、LGBTだけでなく全ての人の尊厳を傷つけると思います。特に国は人を生産性で判断するべきではないし、差別を受けている人や、経済的肉体的その他のハンデを負った人にこそ援助をするべきで、そうでなければ税制や社会保障の形を見直すべきだからです。

しかし、いくら言っても「全文を読め、差別なんかしていない」という人はたくさんいました。だから今回私はあえて話をLGBT以外に拡大せず、杉田議員が書いたことそのままを読み、そのままおかしいと思ったところを書きました。

 

引用した部分以外にも引っかかる部分はありましたが、彼女の文章を批判するのはこれくらいでやめておきます。また杉田議員はトイレ問題についても触れていたのでそこに関してはこのまとめを読んでいただければ早いかな、と思います。

https://togetter.com/li/1229807

 私は今回、彼女の発言自体よりも彼女の発言を擁護する人がここまで多いことを本当に恐ろしく思いました。あれを全て読んでも全く疑いもせず、「間違っていない」「差別じゃない」と言い切る人たちがこんなにいたなんて⋯⋯

 

では何故、あの発言を「差別じゃない」と思う人がここまで多いのか。

 

いくつか理由はあると思いますが、ほとんどは「LGBTへの無知と偏見」に集約されると思います。

 

LGBTを間違ったものだと思っているから、認めて「あげる」スタンスに違和感を覚えないし、彼らを勝手に不幸だと思い込んでしまうのではないですか?

 

 それと、「差別されたことのないLGBTの人もいる!日本は寛容!!」という人も見かけました。

しかし、それは「日本」の全体ではなく「あなたの周り」ではありませんか?

あなたは差別しないかもしれません、でも差別をする人はいます。あなたは差別されていないかもしれません、しかし差別されている人はいます。幸せなLGBTがたくさんいるのは嬉しいことですが、未だ差別に悩み苦しむ人は多くいます。その人たちの声をなかったことにしないで。

少なくとも私は、テレビで男性芸能人が男性と仲良くしていると「そっち(ゲイ)の人なの?」と聞かれ、それが笑われている状況を「LGBTに寛容」とは思えません。

(そもそも寛容とかLGBTが間違ってるものみたいな言い方であんまり好きじゃないけど)

(彼らの存在は誰かに「許され」なければいけないものではないです)

 

この話を先輩としていたら、「もしかしたら、杉田議員を擁護する人には差別が見えていないのかもしれない。差別されていることを知らないから、LGBTが権利を求めることを、『もう充分なのに必要以上に欲しがっているわがまま』、『自分たちを優遇して欲しくて騒いでいる』、そういう風に捉えてしまうのかもしれない」そう言われました。

この状況が見えない人がいるなんて!とびっくりしました。でも、よく考えてみたら昔の私もそうだったかもしれないのです。

 

本気になって調べ始めるまで、私だってテレビでオネエキャラの芸能人が男性芸能人に迫っているのを観て笑っていたのです。疑いもせず、ずっとそう刷り込まれてきたから気づかない人がいるということ。むしろ単純な「悪意」よりよっぽど恐ろしいことです。

だからこそ、知って欲しいです。この不均衡を、差別に苦しむ人達の悲痛な声を。

 

今の日本では、同性パートナーとずっと一緒に生きてきた人でも、戸籍の上での血縁者でなければ病気になったパートナーの死に立ち会うことは難しいです。どれだけ家族として暮らしても、遺産相続権を得ることはできません。

また渋谷区のパートナーシップ制度が話題になり、それに続いて多くの市町村がパートナーシップ制度を取り入れていますが、実はこれ自体には法的拘束力はありません。認められる権利や保障も少なく、男女の結婚と全く同じではないのです。

外国人のパートナーがいる場合でも、男女の夫婦の場合では配偶者ビザの発行が認められ、在留資格を得られるのに対し同性カップルの場合は「配偶者ではない」ため認められていません。

トランスジェンダーに関しては、性別適合手術を望む人に保険が適用できるようになりましたが、実際のところ保険適用される条件で手術を行うことはかなり難しい状態であり、現状に適した法とは言い難いです。

明らかに目に見える範囲でも、これほど多くの不均衡が存在します。

LGBTに理解がある人は確実に増えました。セクシャルマイノリティがメディアに取り上げられることも増えました。数年前では考えられなかったほど、社会は変わっています。

それでもなお、差別はあります。「あなたが差別しているかどうか」ではなく、LGBTはそもそも「制度的に不利益を被っている」のです。もちろんLGBTセクシャルマイノリティの中にも、社会保障を必要としない人はいます。しかし、「権利があってあえて選択しない」ことと、「権利がそもそも与えられていない」ことは大きく違います。食べ物が与えられた状態でも食べないことを選択することはできますが、食べ物がそもそも与えられていなかったら、選ぶことすらできないのです。

 

せめてパートナーの性別によって制度上の不利益を被る人がいなくなり、義務教育期間に授業でセクシャルマイノリティを扱うことが出来るまでは、彼らの権利が保障されているとは言えないと思います。

 

それでも同性婚セクシャルマイノリティの教育に嫌悪感を覚える人へ。

セクシャルマイノリティの教育をしたからといってセクシャルマイノリティの数は増えないし(今までカミングアウトしなかった人がカミングアウトすることで認知数は増えるかもしれません)、異性愛者の人達の恋愛や結婚が脅かされることもありません。彼らはあなたたちと同じ人間です。

 

今の日本の社会に必要なのは、変化を恐れず、知識を受け入れることです。

知らない、よくわからないから怖いのです。もっとたくさんの知識をつけて、多様な見方を身につければ、この社会はLGBTにとってだけではなく、全ての人にとって生きやすくなる、私はそう信じています。

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最後に、YoutubeのURLを貼り付けておきます。2012年に全米公開された、同性愛が”普通”の世界を描くわずか20分足らずの映画、『Love is All You Need?』です。かなりショッキングな描写もありますが、これが今のセクシャルマイノリティを取り巻く現実のひとつです。どうかこの問題を他人事だと思わず、向き合ってくれる人が増えますように。

 

拙い文でしたが、読んでいただきありがとうございました。

 

https://youtu.be/7AhJXc9rY94

 

 

なぜこの記事を書こうと思ったか【蛇足】


ここからは私自身の話をします。

完全に蛇足なので読まなくても全然大丈夫です。後半に埋め込まれているツイートだけは見てほしいけどそれ以外は全部読み飛ばしてくれていいです。とても個人的で、主観たっぷりのありふれた話です。

 

私は身体的に女性ですが、女性を好きになったことがあります。

好きになって初めて、自分が「普通の異性愛者」ではないことに気がつきました。

自覚してから世の中を見ると、「異性愛者でないこと」がとても恐ろしく感じました。

テレビの中では「ホモ」や「オカマ」はネタにされ、その言葉を聞くとみんなが笑いました。それをみたクラスメイトも真似をします。ある男子が男子に抱きつかれ、「やめろよ!俺そういう性癖ないから!」と叫びました。私が「男の人あんまり好きじゃない」と言ったら、友達は「なんで?」と言って、根掘り葉掘り私の恋愛関係を聞き出そうとし、最後に「レズなの?(笑)」と言いました。母親は、テレビでトランスジェンダーの人を見て「みっともない」とつぶやきました。

私は、自分が女性を好きになったことを言ったら、同じような扱いを受けると思いました。だから合宿の夜の恋バナになって、しつこく「誰が好きなの!?」と聞かれても絶対に答えず、笑って誤魔化しました。

受け入れてくれる友達もいました。応援してくれる友達もいました。励ましてくれる友達もいました。

それでも私は、胸を張って「自分は同性のことも好きになる人間だ」と言えませんでした。

だってお母さんは「普通じゃない」人を見て、「みっともない」って言った。

だって友達は「ごめん私そういうの無理だから」って言った。

クラスメイトだって、テレビの中の人だって、ネットの中を探したらもっとたくさん、私のことを「気持ち悪い存在」だと思っている人達がこんなにいる。言ったら差別される。言ったら腫れ物扱いされる。言ったら家族や友達を失うかもしれない。

そんな怖いことできない。

傍から見たら小さなことかもしれません。でも、私はその数え切れないほどの小さなことを、ずっと忘れられずにいます。本人達は覚えてもいないような、ほんの少しの無理解と無関心にずっと怯えて生きています。

だから、ほんの僅かな信頼している人以外には言わずに今まで生きてきました。

そして、杉田議員の記事を読みました。

正直、「またか」と思いました。もうこんなことは言われすぎて、怒りもあるけれど諦めの方が大きかったです。

 そんな時、Twitterである動画を観ました。7月27日に自民党本部前で行われた杉田水脈議員の辞職を求めるデモ、そのデモの中のスピーチの映像です。

この記事では、その中の林夏生さんのスピーチについて取り上げています。 

またこちらは、別のデモ参加者の方のスピーチです。

この映像たちを見て、本気で泣きました。こんなに大勢の人の前で自分のセクシャリティをカミングアウトすることは、とりわけ今まで公表していなかった人にとってはどんなに恐ろしいことでしょうか。想像だけで震えます。そして彼らはカミングアウトだけでなく、仲間を励まし、自分の意思を言葉にして伝えているのです。なんという勇気でしょうか。なんという強さでしょうか。

1つ目のツイートの林夏生さんのスピーチでは、こんな言葉が出てきました。

 

今回のことはみんなが優しくなれば解決することじゃないんです。

優しい気持ちになれる時も、そうじゃない時もあるから、だから私たちに必要なのは「制度」なんです。「ルール」なんです。

この世界の風向きが変わったって、誰も傷つけることのない世の中にするために、どうか一緒に「制度」を作って下さい!!

これこそが、LGBTに税金を投入することを「生産性がない」と言った杉田議員への明確な反論であり、今の社会に必要なことを示した言葉だと思います。

上にあげたお二人のスピーチにこれ以上の説明は不要です。是非聴いてください。どちらも短いものですが、熱く心に響く言葉があります。LGBTに限らずすべてのマイノリティを励ます力を持っています。

 

このスピーチをみて、私も声を上げたいと思いました。もっと多くの人にこの叫びを届けたいと思いました。だからこの記事を書きました。

ずっと思っていたけれど声に出せなかったことを言いたいと思いました。

今それを言葉にします。

 

 

ふざけるな!

私は女の子のことも好きになるけど、それを不幸だなんて思ったことないのに、本当に恐れてるのは差別されることだけなのに、勝手に不幸だって決めつけないで!私は不幸なんかじゃない!

私には大切な友達がいて、大切な人達がたくさんいて、上手くいくことばかりじゃないけれどそれでも必死に生きているのに、私の属性だけを見て不幸だなんて言わないで!私は周りの人のおかげで今幸せなんだ!

つらいことも苦しいこともとてもたくさんあるけれど、それでもまだもっともっと幸せになることを諦めたりなんかしない

 

こんなちっぽけな声じゃ、どこにも届かないかもしれないけれど。もしこの記事を読んでいる中で、誰にも言えずに苦しい思いをしている人がいたらこう言いたい。

 

あなたの苦しみを全てわかるなんて言わない。あなたと私は違う人間で、同じには永遠になれないし、完全に理解することはできないから。

でも、隣にいることはできる。手を握ることはできる。

あなたという存在はかけがえのないただ一つで、何にも変え難いとても尊い存在だから。今ここにいる、それだけで価値がある。

生きていてくれてありがとう。

 

誰か一人でも私の言葉が響いてくれる人がいたら、こんなに嬉しいことはないです。

私を勇気づけてくれた人、私を受け入れてくれた人、私を大切にしてくれた人。ありがとうございました。あなた達のおかげで、今私は生きています。

願わくは、差別で失われる命がひとつでも減ることを。全ての人が笑って暮らせる世の中が来ることを。

ものすごく長くなってしまってごめんなさい。最後までお付き合いありがとうございました。